
今回は琉球王府時代の古道「国頭方西海道」の「護佐丸父祖の墓(山田グスク跡)」について紹介します。
護佐丸父祖の墓は山田グスクの城主であった護佐丸父祖一族の墓で山田グスク跡の中腹にあります。琉球石灰岩の洞穴を利用した古墓です。墓前には一族により建立された碑文の石碑があります。
護佐丸父祖の墓には石造りのウコール(香炉)と花瓶が供えられ、現在でも沖縄の多くの人々が訪れるとても神聖な場所です。
記事の内容は「護佐丸父祖の墓(山田グスク跡)の行き方」、「護佐丸父祖の墓(山田グスク跡)について」、「国指定史跡・国頭方西海道」、「マナーや服装・注意事項」、「護佐丸父祖の墓(山田グスク跡)・まとめ」に分けて紹介します。
護佐丸父祖の墓は一般的な観光スポットでは紹介されていません。14世紀から15世紀頃の貴重な遺跡で隠れた秘境スポットです。
この記事を読むことによって、護佐丸父祖の墓の行き方や山田グスクの歴史について詳しく知ることができます。
護佐丸父祖の墓(山田グスク跡)の行き方
護佐丸父祖の墓(山田グスク跡)の行き方は国道58号線を恩納村から那覇方面に進みます。右側にルネッサンスリゾートオキナワがあり、左側に第二駐車場があります。2つ目の信号の左側に「山田城跡」の案内板が見えるので左折します。
国道58号線を左折後は青い案内表示を確認しながら道なりに車で数分ほど進みます。護佐丸父祖の墓に駐車場はありません。青い案内表示の周囲に駐車することになります。近隣の人達の迷惑にならないように気をつけて下さい。
住所 〒904-0416 沖縄県国頭郡恩納村山田2816
護佐丸父祖の墓(山田グスク跡)について

恩納村の山田にある護佐丸父祖の墓は山田グスクの城主であった護佐丸父祖一族の墓です。琉球石灰岩洞穴を利用した古墓で、墓前には一族により建立された碑文の石碑があります。護佐丸父祖の墓は「ごさまるふそのはか」と読みます。
山田グスクの「グスク」は漢字では城もしくは御城と書きます。沖縄県や奄美諸島に12~16世紀頃(グスク時代)を中心に造られた、石垣で囲まれた城塞や集落跡の遺跡を言います。
山田グスク(山田城)は恩納村に残るグスクの中で最も主要なグスクの1つとして国指定の遺跡文化財となっています。
1986年から1988年の発掘調査では、城の規模は東西約30m、南北約160mであることが判明しました。中国産陶磁器や銭貨などが出土されまた。現在は東側と西側に野面積みの石垣が残っています。
護佐丸を始祖とする琉球王国の士族である毛氏豊見城の子孫により建立された碑文には、墓の修復(1714年)や石碑の建立(1750年)などの内容が記されています。
護佐丸父祖の墓には石造りのウコール(香炉)と花瓶が供えられ、現在でも沖縄の多くの人々が訪れるとても神聖な場所です。
護佐丸父祖の墓に向かって右側に護佐丸父祖一族の古墓があり、琉球石灰岩の表面には「一九五二年九月吉日 修築 豊見城家伊野波門中」と刻まれています。
護佐丸は1416年に尚巴志の北山討伐に参戦して北山を滅ぼした後に山田グスクから4キロほど西に離れた座喜味グスクを築城し居城しました。座喜味グスクを築く際には山田グスクの石垣を壊して人の手で運んだと伝わっています。

護佐丸父祖の墓
山田城主であった護佐丸父祖一族の墓といわれ山田城跡の中腹に位置する琉球石灰岩洞穴を利用した墓である。墓前には一族によって建てられた碑文がある。碑文は墓の修復(1714年)や碑の 建立(1750年)などを記した次のような内容となっている。
往昔吾祖中城按司護佐丸盛春ハ元山田ノ城主ニ居給フ其後読谷山ノ城築構ヒ居住アルニヨリテ此ノ洞ニ墓所ヲ定メ内ハ屋形作ニテ一族葬セルニ然処ニ、幾年ノ春秋ヲ送リシカバ築石造材悉破壊ニ及ビ青苔ノミ墓ノ口ヲ閉セリ爰ニオヰテ康熙五十三年墓門修復石厨殿ニ造替シ遺骨ヲ奉納セリサテ永代子々孫々ニモ忘レズ祀ノ絶サランコトヲ思ヒ毎歳秋ノ彼岸ニ供物ヲササケマツル例トナリヌ仍工石碑建立之也
大清乾隆五年庚申十月吉日
裔孫豊見城親雲上盛幸
碑文(裏)
此碑文康熙五十三年隆為建置年来久敷文字不詳依之此節建替候也
書調人 毛氏 山内親方 盛方
彫刻人 毛氏 又吉里之子 盛庚
国指定史跡・国頭方西海道
kunigamihoseikaido国頭方西海道は歴史上の価値が高い遺跡として、国指定史跡の文化財保護法に基づき文部科学大臣が指定した文化財です。
国頭方西海道は「くにがみほうせいかいどう」と読みます。琉球王国時代(15世紀〜19世紀)に首里城を起点とし、浦添、読谷、恩納を経由して名護以北の国頭地方へと続く、沖縄本島西側の主要街道(宿道)です。
現在の国道58号に沿ったルートで、恩納村では保存状態の良い仲泊の一里塚から真栄田の御待毛(うまちもー)までの間が「歴史の道」として整備されていて貴重な歴史散策が楽しめます。
「仲泊の一里塚」、「仲泊遺跡」、「山田谷川の石矼」、「山田城跡(山田グスク)」、「護佐丸(ごさまる)の父祖の墓」、「フェーレー岩」、「真栄田の一里塚」、「真栄田の御待毛(うまちもー)」など多くの史跡が点在しています。
マナーや服装・注意事項

護佐丸父祖の墓(山田グスク跡)は一般的な観光スポットでは紹介されていません。整備された観光スポットとは違います。
歴史上の価値が高い遺跡として、国指定史跡の文化財保護法に基づき文部科学大臣が指定した文化財です。沖縄の地元の方達にとっては神聖な場所でもあります。地元の方達に迷惑がかからないように気を付けてください。
護佐丸父祖の墓に専用の駐車場はありません。周囲の車の迷惑にならないように路上駐車は避けてください。
車を降りてからも護佐丸父祖の墓までは舗装されていない道が続きます。急な階段や坂道が続きます。歩きやすい靴と動きやすい服装がおすすめです。雨の日は特に足元が悪くなります。なるべく天気の良い日に行くようにして下さい。
琉球の時代からの大自然が続いていて森林浴を楽しみながら、川の流れる音も聞こえ、心地の良い時間が過ごすことができます。マナーを守ってゴミなどは必ず持ち帰るようにして下さい。
護佐丸父祖の墓(山田グスク跡)・まとめ

今回は琉球王府時代の古道「国頭方西海道」の「護佐丸父祖の墓(山田グスク跡)」について紹介しました。
護佐丸父祖の墓は山田グスクの城主であった護佐丸父祖一族の墓で山田城跡の中腹にあります。琉球石灰岩の洞穴を利用した古墓です。墓前には一族により建立された碑文の石碑があります。
山田グスク(山田城)は恩納村に残るグスクの中で最も主要なグスクの1つとして国指定の遺跡文化財となっています。
護佐丸父祖の墓には石造りのウコール(香炉)と花瓶が供えられ、現在でも沖縄の多くの人々が訪れるとても神聖な場所です。

護佐丸父祖の墓(山田グスク跡)の行き方は国道58号線を恩納村から那覇方面に進みます。右側にルネッサンスリゾートオキナワがあり、左側に第二駐車場があります。2つ目の信号の左側に山田城跡の案内板が見えるので左折します。
国頭方西海道は歴史上の価値が高い遺跡として、国指定史跡の文化財保護法に基づき文部科学大臣が指定した文化財です。
護佐丸父祖の墓(山田グスク跡)は一般的な観光スポットでは紹介されていません。整備された観光スポットとは違います。沖縄の地元の方達にとっては神聖な場所でもあります。地元の方達に迷惑がかからないように気を付けてください。
この記事を読むことによって、護佐丸父祖の墓の行き方や山田グスクの歴史について詳しく知ることができます。
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